[田山/石仏]華将寺跡(Trace of Kesho Temple)
柳生藩主の墓があるところ、道路のつきあたりに民家があり、その脇が、下の写真のようになっています。写真中央部へ入っていきます。
写真では真っ暗に見えますが、奥が深いわけではなく、木の枝をくぐると、すぐに開けます。
平たい土地に、大きな石があります。
近づいてみると、たくさんの仏さまが彫られています。ここが華将寺跡です。
説明板より
この華将寺は、柳生宗矩の時代、郷士達が取りたてられた後にできたものと思われ、西の山裾には11体の歴代柳生藩主の石碑が現存している。慶応元年(1865年)12月、同じ田山区内の観音寺に合併して廃寺となった。本尊の大日如来坐像は平安時代の作といわれ、現在観音寺に安置され現存している。
南山城村教育委員会
この岩は、花崗岩で、高さ3.5m、幅4.5mもあります。大阪城を築城する時、石垣の石として運ばれないために田山の人たちの知恵で仏さまを彫り、移すことのできない岩としたという伝承があります。
南面と東側に地蔵石仏・五輪塔・碑型を刻んでいます。計59組、62の彫刻があります。
華将寺は、侍分を檀家とする寺院で、住職にはかなり遠方からも来た記録がありますが、廃寺となった現在では、境内地であったここに、基壇とこの大岩がひっそりとたたずむばかりです。竹藪と木立に覆われているので下草はあまり生えませんが、いっそうのこと、わびしさが引き立てられ、往時がしのばれます。