[北大河原/寺社]国津神社(Kunitsu Shrine)

南山城村役場の前を通っている道路は、旧国道163号線です。現在の国道163号線は、少し山手に入ったところ、トンネルを通っています。トンネルをでてすぐ、旧国道との連絡路上に、国津神社があります。春光寺の西隣です。下の写真、ガードレールが、新旧国道の連絡路で、その上に見えるのが国津神社です。

 

 

道路脇に鳥居があります。階段を登ったところに、本殿、拝殿などがあります。

 

 

『日本三代実録』に859(貞観元)年、「大川原国津神に従五位上を授ける」とみえます。明治以前は六所権現社と称しました。天孫降臨以前から国土を治めていたとされる土着の神(産土神、氏神)を「国津神(くにつかみ)」、天照大神などがいる高天原の神を「天津神(あまつかみ)」といいます。古代より、この地域が重要な地位をしめ、土地の神が大切に祀られてきたことがわかります。おそらく、農業を営みながら杣山の木を切り出し、筏に組み、木津を経て奈良のお寺に運ぶ仕事に従事していたのでしょう。

江戸時代の「加太越(かぶとこえ)奈良道見取(みとり)絵図の大河原宿」には「六社権現(ごんげん)」として描かれており、集落にとって大切な氏神様だったのでしょう。

すたれた行事も多々あるようですが、今も続いているものとして『山の神』の行事があります。在所の子どもたちは、毎年12月10日に『山の神』の祠がある国津神社に集合し、氏子総代の指揮のもと、2~3班に別れて各戸をまわり「おばちゃん、白や黒やの米おくれ」と大声で叫び、米やそれに代わるお金をもらい、神社に戻ってからそれを年に応じて分配し、総代が作ってくれたかやくご飯をいただいて帰るという行事です。山の神に感謝し、山の恵みを願い、山の安全を願う行事なのです。このころ在所は賑やかになります。

毎年10月20日が秋祭りですが、少子高齢化と過疎化は祭りの維持にも問題を投げかけています。2020年現在、子どもは、中学生3人、小学生2人、保育園児2人で、恒例の子ども神輿の奉納も難しくなってきました。

 

 

上の写真は拝殿で、下の写真は拝殿の奥にある本殿です。

 

 

本殿の左側に、摂社があり、右から順に、山神社、愛宕神社、市杵島姫神社となっています。

 

 

本殿右には、国津六所神社があります。

 

 

拝殿の石段下に花崗岩製の灯明台があります。

 

 

拝殿の石段下の広場の右側に社務所があります。その奥に見えているのが、春光寺です。現在の春光寺の場所には、かつて黄金寺がありました。江戸時代には、黄金寺は国津神社の神宮寺でした。神宮寺とは、日本で神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院のことをいいます。仏教と神道が敵対したり排除したりせず、日本の神々は仏の仮の姿であるという考え方で、神社と寺院が融和していった歴史があります。春光寺と国津神社は、今もなお、その形をとどめています。

 

 

下の写真で、左の杉の立木の向こう側が国津神社の社務所、その右が春光寺の倉庫、その右が黄金寺 薬師堂(現・春光寺本堂)です。