[高尾/寺社]三升権現社(Sanjo-Gongen)

名張川の西側の府道を、高山大橋から南へ3km足らずいくと、大きな三叉路へ出ます。

 

 

この三叉路の北西角にカーブミラーがあり、カーブミラーの上の方に大きな石碑が見えます。

 

 

カーブミラーの横に歩いて登る道があります。カーブミラー上方の石碑に向かっています。

 

 

その石碑には、「三升権現」と刻まれています。

「三升(さんじょう)」は、このあたりの地名です。

「権現(ごんげん)」は、仏が「仮に(権)」神の形を取って「現れた」ことを示す、神の祀り方です。明治の廃仏毀釈のときに権現が禁止されたため、仏とのつながりを消して、祭神のみを祀るようになりました。

 

 

石碑から折れて、さらに登ります。

 

 

まもなく、石垣の上の祠にたどりつきます。祠の後ろには大きな岩があり、この岩がご神体として祀られています。

 

 

鎌倉時代末に、後醍醐天皇が笠置山で鎌倉幕府軍に敗れた際、後醍醐天皇の女官(園王の君)と従士たちが難をのがれて月ヶ瀬へ行く途中、従士がこの地で没した、あるいは、女官ないし従士の墓があったとも言われます。

または、道の反対側にあるタタリ山にあった三升権現社を今の地に移したとも言われます。