南山城村の歴史(現在)

高山ダム

昭和28(1953)年の大水害は、淀川水系の治水事業を再検討に追い込みました。さらに、昭和34(1959)年の伊勢湾台風はその検討を大きく超えるものであり、さらなる検討が必要となりました。この過程で、南山城村の高山ダムが計画されました。治水だけでなく、発電、水道水、農業用水の補給なども行う、多目的ダムです。

ダム建設による家屋、土地の水没関係者たち、農業関係者、行政、議会からなる、「南山城村高山ダム対策委員会」が設置されました。「このダムで受ける下流数百万住民の利益は膨大である。これに対応する同様な利益が水没関係者に本来の補償に加えて与えられるならば、ダム建設に協力する」という、全国的にも稀な協力的態度を最後までとり続けました。

水没する関係者への個人補償とは別に、公共補償とされたのは、ほとんどが道路の改良・拡幅です。村民にとっての第1の要望は、安心・安全の道路なのです。このことは、今現在も変わっていません。

昭和39(1964)年に工事が始まり、昭和44(1969)年にすべての工事が完成しました。

高山ダム

農林業

戦後は、茶、シイタケ、トマトが農業の主力でした。

昭和36(1961)年に導入された新作物であるシイタケは、広葉樹に恵まれた南山城村の利点を生かし、品質のよい原木シイタケとして大きく伸びました。

トマトも、「高原トマト」として人気を博しました。

平成10(1998)年から平成15(2003)年にかけて、シイタケとトマトが縮小し、茶が大きく伸び、茶の産地として確固たる地位を築くことになりました。それには、積極的な茶園造成、防霜ファンの設置、共同製茶工場の整備などが背景にあります。南山城村は山間地であるため、茶の収穫時期に遅霜の被害を受ける怖れがあり、防霜対策が必要です。茶園のいたるところに防霜ファンが見られる風景は、南山城村ならではのものです。

現在は、「南山城村農林産物直売所 元気むら活き生き市」と、「道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村」が、茶など特産品の販売拡大に力を入れています。

 

原木シイタケ

 

茶園と防霜ファン

新しい施設

平成3(1991)年に、南山城村役場の向かいに「南山城村総合文化会館 やまなみホール」ができました。設計は、黒川紀章さんです。外観・屋内ともにすぐれたもので、とくに音響効果は高く評価されています。

平成15(2003)年には、現在の「道の駅」に隣接したところに、南山城小学校と、南山城村保育園と、社会福祉センターが並んで建てられました。これにより、他の小学校・保育園は役目を終え、南山城村で1つの小学校と保育園に集約されることとなりました。

やまなみホール(左)と南山城村役場(右)

 

南山城小学校

未来へ

南山城村でも、多くの地方と同様、若い世代が減少し、高齢化が進んでいます。人口も減少しています。

私たちは、このふるさとを守り伝える一方、多くの方々に、体験観光をとおして、私たちのふるさとを楽しんでいただく道を選択しました。

また、新たな移住者も増えています。農業以外の、さまざまな職業やライフスタイルも増えてきました。

ひとりでも多くの方が南山城村を訪れ、南山城村を気に入ってくださったら、こんなにうれしいことはありません。

夜明けの雲海