[童仙房/自然]稚児の滝(Chigo Waterfall)

鎌倉時代末、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒す謀略をはかっているのが幕府にもれて、天皇は笠置山へうつって行宮(あんぐう)とし、鎌倉幕府軍は山のふもとに陣取って、一カ月の攻防が繰り広げられました。
とうとう、幕府軍は、山へ火を放ち、天皇軍は敗走しました。後醍醐天皇はつかまり、翌年、隠岐の島へ流されることになります。
天皇軍が笠置山で敗れたさい、赤んぼうの皇女様を抱いて乳母が童仙房へ逃げこみました。幕府軍が追ってくるし、もう逃げられないと観念した乳母は、皇女様を滝へ投げ、自らも同じ滝ではおそれおおいと、別の滝を探し、そちらへ身を投げました。

この伝説は史実かどうかは定かでありません。しかし、現在も実際に該当する滝があります。總神寺の入口付近に「稚児の滝(ちごのたき)」があり、別の沢に「乳母の滝(うばのたき)」があります。いずれも、大きな落差の滝で、ここから落ちれば、とうてい無事ではいられないでしょう。

 

總神寺の山門をくぐってすぐ、小さな橋を渡って右側に稚児の滝があります。

 

 

橋の下には、小さな川が流れています。童仙房は山の頂上付近なので、川といっても、地中から湧いてまもない水を集めて流れる源流です。じつは、この小さな川が、すぐ先で、びっくりするほど大きな滝になるのです。

 

 

橋を渡って右に折れると、ちょっとした駐車スペースがあり、そのおくにお堂が見えます。かつて、總神寺で滝に打たれる修行をしていた際のものです。

 

 

お堂をすぎるとすぐ、稚児の滝の頭の上にでます。下の写真がそうです。この水の先が大きな滝です。水の中ですべって引っ張られると、滝から落ちる危険があります。ここから先へは近づかない方がいいです。

 

 

水を避け、山側から近づけば、滝の頭を横から見られます。どうがんばっても下の3枚の写真の位置が限界です。ここでも危ないので、この手前でとどめた方がいいです。

 

 

不動の滝は20メートルほどの落差ですが、稚児の滝は、25メートルほどあり、不動の滝より大きいです。不動の滝は、下から見られますが、稚児の滝は下へ回ることができません。

正しく言うと、かつて、總神寺では滝の修行をしており、大きく迂回して滝の下へおりるルートがありました。そのルートは現在では崩れており、山歩きに慣れている人なら行けますが、誰にでもご案内できる状況ではありません。写真でお楽しみください。

 

下の写真は、すでに滝の下へおりたところです。いきなり滝壺へおりるのはあまりに危険なので、滝の下流へおります。滝の下は、大きな岩がごろごろころがっています。

 

 

滝壺へ近づくには、すべりやすい急斜面を登らねばなりません。

 

 

滝壺は一段高いところにあり、滝壺から今あるいてきたところを振り返ると下の写真のようです。

 

 

下の写真は、稚児の滝本体です。上が狭く、下が広い形をしています。不動の滝は、いっきにストンと落ちますが、稚児の滝は、段々に水をはねながら落ちていきます。

 

 

下の写真2枚は、滝壺付近から、ズームで滝の頭を写したものです。先ほど、「ここまで」といったポイントを下から見るとこうなります。

 

 

冒頭で紹介しましたように、稚児の滝とセットで乳母の滝の伝説があります。乳母の滝は、別の沢にあり、道からはずれて山の中を歩き、滝の頭へ出ます。滝の下へは、ロープを使ってしかおりられません。滝の下へおりるには、稚児の滝より危険です。乳母の滝はご案内せず、写真でお楽しみください。落差は不動の滝と同じくらいです。