[北大河原/寺社]東光寺跡(Trace of Toko Temple)

春光寺の隣に、かつて、大河原小学校がありました。現在は廃校跡が広場となっています。下の写真で、右側は、大河原小学校跡地です。墓地と小学校跡地の間の道を奥へ行きます。

 

 

小学校跡地の奥に、小さな公園があります。

 

 

その公園よりさらに奥、一段高いところに、長方形の広場があります。ここが、東光寺跡(実際にはもっと広い)です。

 

 

室町時代なかばの応永年間(1394~1428)に創立し、いったん衰退したあと、江戸時代はじめの寛永年間(1624~1644)に中興されました。もともと浄土宗でしたが、江戸時代に禅宗の臨済宗東福寺の末寺となりました。柳生家旧記によると、東光寺の本尊薬師は柳生家士、郷士の本尊であったと伝えられます。ここでも、柳生家との関係がみられます。

江戸時代末期、天保12(1841)年に火災にあい、宝物も焼失しました。5年後に本堂が再建されましたが、明治になると無住となり、衰退し、その後しばらくして廃絶しました。

 

 

中興の祖は北大河原村在住の郷士・倉山氏出身の一峰粗点とも伝えられ、北大河原 在住の郷士達の寺だった可能性があります。墓地跡には倉山氏歴代の墓碑や柳生宗矩、友矩、十兵衛光巌など柳生藩主の供養碑があり、柳生家との強い関係が見られます。下の写真2枚は、柳生歴代藩主供養碑です。