[南大河原/自然]弓が淵(Depth of Yumi)

大河原大橋から高山ダムへ向かう府道沿いに、「明神の滝」と「弓が淵」の双方が記された案内板があります。

 

 

案内板のすぐ下に、大河原発電所の取水ダムがあります。地図で見るとはっきりわかりますが、この取水ダムの上流側が、弓の形に急カーブしており、このあたりを弓が淵といいます。

 

 

 

向かいの山は、だれひとり入り込むことのない山の中で、村人は、「タダレ山」と呼び、木を切ったりすると病気になるとして怖れています。昔、刀鍛冶が住んでいて不殺の剣を作っていたとか、柳生の兵器が隠されていたとか言われ、そのためにこのあたりには人が立ち入ることをしなかったのだという話もあります。

 

また、このあたりには「ゴンジャ」という動物が住んでいたとの話もあります。蛇のようで、もっと太く、サンショウウオのようなもので、サンショウウオではないとのこと。黒っぽくて、太く大きく、怖いものだそうです。足はあるが、あまり速く動かないという人もいます。

 

こうした伝説を持つ弓が淵は、剣聖で名高い柳生十兵衛が鷹狩りの最中に、急死した場所でもあります。木津川が深く曲がり、たわんでいるため、たいそう山深い感じがします。十兵衛、44歳でした。幕府への公式な届けでは病死ということになっていますが、本当の死因はいまだに明らかになっておらず、諸説紛々です。いわく、伊賀の女忍者に毒殺された。いわく、水死。いわく、里人との間にけんかがおこり、里人に殺された。いわく、死亡したことにして九州に隠密に入り、九州で死んだ。

 

さらに、江戸時代に書かれた『芽栗草子』には、悲しい心中の伝説も記されています。(下記、説明板をごらんください)

 

 

 

説明板より
この付近は大河原発電所の取水えん堤ができ景観がかわったが、太古からの大きな深淵を通称〝弓ヶ淵〟という。

天和2年(1682)に書かれた「芽栗草子」(菊岡如幻)には次のように記されている。「昔、この地に大和守菅道臣という人がおった。名張の大領の女を奪いとって、島ヶ原の里に近い伊賀田という所にひそかに隠し住まわせておいた。やがて一人の童子をもうけた。ところがこのことが明らかになり、名張の大領の徒党が討手にさしむけられた。道臣は戦いにやぶれて、弓を引っ提げて、崖上より深淵に飛び入って自害した。妻女もつづいて身をなげて死んだ。以後その亡霊が、いつ時を決めず、島ヶ原の観音堂に参詣しているということだ。」

弓ヶ淵という名称の起源説話ともいえる。

 

取水ダムができたことで、さらに淵が深くなったとのこと。さまざまな伝説の深さと、水の深さが、妖艶な雰囲気をかもしています。