[童仙房/石碑]開拓碑(Pioneer Monument)

大神宮の鳥居をくぐってすぐに、開拓碑があります。下の写真、鳥居の中心部付近に開拓碑が見えています。

 

 

手前の碑は、開拓100年時に建立されました。当時の京都府知事の直筆の銘文が彫られています。ちなみに、開拓150年の開拓碑は役所池にあります。

開拓100年

1969(昭和44)年、童仙房は開拓100年を迎えました。当時は、337人、69戸でした。このうち、明治当初に入植した家族の子孫は分家も含めて42戸でした。
これを期に童仙房開拓農業協同組合は解散しました。「いつまでも、開拓の村という意識を持っては遅れてしまう」との理由でした。泥洹寺(ないおんじ)に全家族が集まり、開拓の苦労をしのび合い「村中総泣きという光景」になったといいます。開拓100年の歴史は、文字どおり苦難の歴史でした。
開拓100年時に記録された証言です。
「おじいさんの代から3代かかって、やっと今こん日にちの豊かな開拓村に育てあげたが、とくに初代、2代目の苦労は、ことばで言い表せないほどだった。オカユをすすり、夜具がないためムシロの上や、米のあき俵にくるまって寝た。持ち山や区有林の売り食いでやっと生計をたて、児童は弁当を持っていけないので、午後から登校する始末だった。しかし、府や村の援助で現在は、登山林道(10キロ)も舗装され、農林業も安定、平和な暮らしを送れるようになって、ほんとうにうれしい」

 

 

開拓100年祈念碑の裏側には、開拓の歴史が刻まれています。

 

開拓碑より
明治2年府の直営をもつて開拓された童仙房郷は祖先の不撓不屈の開拓精神が礎となり開拓百年の歴史をつくり現在の繁栄をみた

ここに今昔を顧み さらに郷土の発展を願い 開拓百年を記念してこの碑を建立し後世に残す

明治2年  開拓着手

明治4年  開拓完成 162名入植

明治5年  童仙房支庁設置 小学校 警察署 郵便局 設置

明治12年  童仙房支庁木津に移転 勧業課授産所設置

明治17年  警察署 郵便局 木津に移転

明治38年  45戸

昭和2年  大神宮拝殿社務所改築

昭和10年  57戸

昭和11年  人道を車道に改修

昭和18年  小学校改築

昭和20年  日支事変大東亜戦争 敗歿者19柱

昭和21年  戦後就農第二次開拓はじまる(29戸入植)

昭和23年  電灯架設

昭和27年  中学校竣工

昭和28年  南山城水害山津波田畑埋没道路寸断被害甚大

昭和31年  山城谷道路復旧工事完了

昭和35年  泥恒寺改築

昭和41年  電話架設

昭和43年  村道3号線20号線10号線主要部分舗装完了

昭和44年  戸数69戸人口337