[童仙房/寺社]高麗寺(Korai Temple)

高麗寺は、宗教法人 曹渓宗総本山高麗寺の総本山です。曹渓宗は、禅宗の系統で、日本で言うと、曹洞宗が近い宗派です。高麗寺には、広い境内があり、本堂は1978(昭和53)年に建てられました。

高麗寺は、日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころとして開かれました。

なぜ童仙房で? 以前、管長に聞いた話ですが、奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院があったと韓国の文献に記されているそうです。そのことは、日本の文献には記されていません。管長はその歴史をたどって場所を探し、奈良から北東に当たる童仙房へ行き着いたのだということです。

日本と韓国は、記録が残っているより古くから往来があり、朝鮮半島からすぐれた文化や技術が渡来人によって日本にもたらされました。それ以後、さまざまな歴史を経て、好悪の感情が入り乱れて現在に至っていますが、高麗寺は一貫して、日韓友好と世界平和を主張しています。

毎年10月中旬、太平洋戦争中に軍人・軍属として戦死した1136名の犠牲者を悼む慰霊祭とともに、世界人類平和祈願大祭が開催されています。

道路を車で走っていると、道沿いに、大きな4階建ての「高麗ハイツ」が見えてきます。童仙房では、他に4階建ての建物はありません。1階が寺務所となっています。高麗ハイツの横が、高麗寺境内への入口となっています。

 

 

高麗ハイツを越えてすぐ、白衣観音像があります。韓民族は、自分たちを「白衣民族」と呼ぶそうです。日本人は、韓民族というと、色とりどりのチマチョゴリをイメージしますが、かなり古い時代から、白い服を好んで着ていたようです。白衣は、民族の歴史であり、誇りであり、伝統なのでしょう。白衣観音像は、白衣民族の精神と思想を表しているとされます。高さ10メートルの大きな観音様です。「ごくらくばし」を渡って、観音様にお会いします。

 

 

白衣観音像を右へ回ると、川へおりる道があります。そこから、竜王堂を見渡せます。竜は、水の神様です。水を大切にし、水に感謝をささげます。竜王堂は、韓民族固有の伝統様式である切妻様式の屋根からできており、韓国の本瓦を使用して建てられた約12坪規模の建物です。お堂の下には酷暑の時でさえも、足を一歩踏み入れさえすれば、俗世の煩悩をすべて忘れさせてくれるほど冷たい小川のせせらぎがあり、まさに閑寂そのものの美しい所です。

 

高麗ハイツから奧へ進むと、大きな階段が見え、その上に色彩鮮やかな本堂が見えます。本堂の左側は、鐘楼堂です。日本の寺院には見られない色づかいが、目を引きます。約30坪の本堂(法堂)は、伝統的な韓民族の建築様式で建立されており、韓国の本瓦を使用した切妻屋根式の正面5間(14.5m)、側面は3間(9.5m)から成ります。前曹渓宗宗正 西翁大和尚が主席されておられた白羊寺の法堂を象徴として建立されました。

 

 

本尊は、高さ2.5mの釈迦牟尼仏を主仏としており、脇侍菩薩には文殊菩薩と普賢菩薩を奉り、正面右側には神衆檀(不動明王)、左側には高麗寺霊園に葬られているご霊駕のご位牌を安置しています。

 

 

本堂のすぐ左に、鐘楼堂があります。とてつもなく大きな鐘(9.3トン)です。世界は人類の歴史始まって以来、古今東西縷々として戦争が続いてきました。今もなお、地球のどこかで戦争が行われています。戦争のない世界人類の永遠なる平和と幸福を祈願し、平和の鐘を打ち鳴らします。

 

高麗寺の境内は、奧へ向かって登り勾配となっています。その一番奥に、日韓友好平和之塔(慰霊塔)がそびえています。18mの高さがあり、遠くからでもはっきり見えます。

第二次世界大戦時に犠牲になられた韓民族の英霊を慰めるために建立されたこの塔は、日韓両国の友好親善と世界平和のより一層の増進を図るために建てられ、全世界の人類に二度とこのような惨劇が起こらないことを祈願し、高麗寺境内の敷地約3,000平方メートルの広さに建立しました。

 

 

高麗寺の境内の左奧が最も高い場所です。その山の上に、山神閣があります。韓民族の伝統様式である切妻屋根様式に韓国瓦で丹青を施した約13坪規模の建物です。静謐な感じのする阿弥山の最高峰の明堂池に位置する所にあり、滋賀・三重・奈良の3県が見渡せる三聖閣は、一つの願いは必ず叶えてくださると伝唱され、伝え聞いた参拝信者達の絶えない祈祷所でもあります。
山神閣の本尊は、中央には七星、右側山神、左側には独聲が奉られています。内部の色彩は本堂と似て、鮮やかです。

 

 

下の写真は、山神閣から境内を見下ろした様子です。高麗寺のほぼすべてと、遙かに続くやまなみが見渡せます。