[童仙房/自然]役所池(Yakusho Pond)

明治初期、童仙房に役所(童仙房支庁)がありました。現在は、その場所が役所池として、名残をとどめています。

 

6月には、役所池には睡蓮が池いっぱいに咲きます。

 

 

開拓村の成立

幕府と明治新政府が戦っている戊辰戦争の最中の1868(明治元)年、京都の商人が、京都府(京都市中と北山城を中心とした領域)に対し、童仙房開拓の請願書を提出しました。「無住の地」であった「堂仙坊(どうせんぼう)山」を「国益」のために開墾するとのこと。江戸時代末まで、童仙房は藤堂藩、柳生藩、禁裏御料に接し、「無住」の空間でした。
この請願を京都府は受け付けず、府直営事業として開拓を行うことを表明しました。1869(明治2)年から翌年にかけて141戸が入植し、各戸に田4反、畑8反、山林2町が分配されました。1871(明治4)年、開拓が完成し、162戸で童仙房村が成立しました。1872(明治5)年には綴喜・相楽2郡の支庁(童仙房支庁)が置かれ、京都府南部の中心地として村づくりが行われました。
しかし、7年後に支庁は木津に移転し、入植者の約7割が離村しました。その支庁跡が、役所池です。

開拓150年

2019(平成31・令和元)年に童仙房は開拓150年を迎えました。3月17日、京都府知事、京都府会議員、南山城村長、南山城村会議員の皆様をお迎えし、記念式典が雨の中、催されました。この式典を機に、役所池が整備され、知事直筆の銘を彫った記念碑が建てられました。

 

 

開拓150年記念式典のさい、「童仙房」という品種の紅葉が植樹されました。