[南大河原/施設]恋路橋(Koiji Bridge)

南山城村の中心部を東西に木津川が流れています。木津川には3つ、橋が架かっていますが、そのうちの1つが、ユニークな恋路橋(こいじばし)です。

何がユニークかというと、またの名を「沈み橋」とか「潜没橋(せんぼつきょう)」とかいうように、川の水量がふえると、沈んでしまうからです。正式名は大河原橋です。

北大河原に、JR関西本線の大河原駅があります。駅前を、旧国道163号線が走っています。バイパスが開通してからは、交通量が少なくなりました。国道をわたったところに、木津川へ向けてくだる道があります。

 

 

川の水面近くにまでくだります。

 

 

下りきると、橋へさしかかります。この付近、この橋が完成するまで、船で渡るしかありませんでした。戦争中の昭和19(1944)年、燃料の亜炭を大河原駅へ搬出する必要があり、架橋工事が着工され、昭和20(1945)年3月、花崗岩を使用した石橋が完成しました。長さ95.3メートル、幅3.6メートルです。

花崗岩は、田山や南大河原の石切場から切り出されました。長さ4.4m、幅と厚さが0.5mの延石120本が使われました。考案者は高山村村長で石材業者でもあった山仲清五郎氏だと言われています。

完成後、上流で切り出された石材は路面電車の基材として販売され、亜炭とともに大河原駅から出荷され、駅は活気にあふれていたそうです。

 

 

橋のたもとに、「恋路橋」の標があります。平成8(1969)年、南山城村商工会が愛称を募集し、「恋路橋」と名づけられました。橋を渡った先が、恋愛・縁結びで知られる恋志谷神社です。

 

 

橋には、ガードレールなどなく、とてもシンプルです。幅は十分あり、作りも頑丈です。自動車も通れます。下の写真は、橋の上から上流側を見たようすです。ふつうの橋だと、川を見おろす視線になりますが、恋路橋は、川の高さで川を見る感じです。

 

 

水量が増えて沈む橋というのは、イメージしにくいかも知れません。下の写真は、台風通過後です。大雨が降ると、もっと水かさが上がります。このときは、だいぶと水が引いた状態です。橋へ向かう道路、先がありません。

 

 

さらに近づくと、完全に水没しているのがわかりますね。じつは、水没することで、橋が流されたり壊れたりするのを防いでいるのです。荒波が襲いかかっても、さからわず静かに身をひそめてやり過ごす。だからこそ、こわれることなく末永く続いていく。そんな恋の路を説いているかのごとき、恋路橋です。

橋が浸かりかかるとこんな看板が出ます。昼夜・休日を問わず危険水位を超すと役場職員は看板を出さねばなりません。ご苦労様です。