[北大河原/寺社]春光寺(Shunko Temple)

南山城村役場の前を通っている道路は、旧国道163号線です。現在の国道163号線は、少し山手に入ったところ、トンネルを通っています。トンネルをでてすぐ、旧国道との連絡路上に、春光寺があります。歩いて行くなら、かくれ地蔵のある大河原浜から一気に300mほど急坂を登ると踏切に出、その100m先に春光寺があります。

真言宗智山派の寺で、江戸時代までは踏切付近にありましたが、明治の廃仏毀釈で現在地にあった黄金寺がなくなったため、黄金寺の跡地に春光寺が移転し、現在に至っているのです。野殿の福常寺は、春光寺の末寺にあたります。

 

 

黄金寺は、明治の神仏分離以前には、国津神社の宮寺でした。春光寺がこの黄金寺をひきついだわけです。現在も、春光寺と国津神社は隣り合っています。下の写真より左側が国津神社です。

 

 

春光寺の本堂は、黄金寺の本堂であったもので、薬師堂ともいいました。江戸時代の1797(寛政9)年に再建されましたが、1995(平成9)年に解体修理され京都府の登録有形文化財に指定されています。

黄金寺は隣の国津神社の神宮寺として存在しましたが創建時は不明です。そのお堂が江戸時代に再建されていました。その再建時の棟札が下の写真です。ここには建設のリーダーの名前が書かれています。武士格の森地、桂、野殿氏の他農民30人の名前が書かれています。村を挙げての大事業だったことが分かります。

 

本堂には本尊の薬師如来(やくしにょらい)立像が安置されています。造りの良さから国の重要文化財に指定されています。

 

 

カヤの木の一木造(いちぼくづくり)りで螺髪(らほつ)(髪の毛) を植え付けています。146.7cm、両肩を衣でおおい、下半身にはX状の模様を彫っています。右手は手のひらを前向き、指を上にした形をとり、左の手のひらには薬壺(やくこ)(薬を入れる壺)をのせています。

カヤの木の地肌がむき出しになっていますが、住職の話によると、修理に出した時の専門家の鑑定で黒漆(くろうるし)や金箔が貼られていた痕跡があるそうです。

平安時代初期(11世紀)頃につくられたと推定されており、前後の姿は肉感的で力強さを感じます。しかし10世紀頃の作とされ、この像の手本になったと考えられる奈良・元興寺(がんごうじ)の薬師像に比べると量感がやや劣るそうですが、拝観される皆さんにはどう写るでしょうか?

村内では、平安時代の遺跡はないので、村に杣山(そまやま)を持っていた奈良の寺院(大安寺、興福寺、西大寺など)の修行僧や伝導僧が自分の庵(寺)で秘かに所持していた仏像が1000年の時を経て今に伝わったと考えられています。国の重要文化財に指定される貴重な仏像を大切にしてきた歴代のお坊さんや村民の信仰の厚さと努力があったからこそです。

いずれにしても奈良と南山城村は早くから近い関係にあったことを物語っています。みんなで大切に守っていきたいものです。

 

 

本堂の左前に層塔屋蓋(十三重塔、写真左)と、四角型石燈籠(写真右)があります。燈籠には、金毘羅大権現と刻されています。金比羅信仰は、舟に乗る職業の人たちに信仰された神です。木津川は、古代から水運が栄えたので、その関係でしょうか。古い神社や寺院には、その土地の歴史がさりげなく残されていることが多いものです。