[北大河原/石碑]南山城水害記念碑(Memorial of flood)

旧国道の派出所前の信号を北へ向かい、踏切を渡ったすぐ左側の広場は、明治まで春光寺があったところです。ここに大きな石碑が2つあります。左が戦没者慰霊碑、右が南山城水害犠牲者の記念碑です。

 

水害は1953(昭和28)年8月15日未明に発生しました。前夜からの豪雨は雷をともな い、12時間の推定雨量は570㎜に達したといいます。現在の南山城村にあたる2村、大河原村と高山村の全域で山津波 が発生して、中小の河川は土石流に見舞われました。

この碑の後ろを流れる山城谷川は、関西本線の土手をくり抜いたトンネルを流れてい ましたが、土石流でトンネルが詰まってダムとなり、夜中の3時頃ごう音とともに決壊しまし た。下流の民家二十数戸がのみこまれ、ここだけで36人、押原区でも14人が亡くなりまし た。

ある小学生は大河原駅の下流まで流されましたが命拾いをしました。笠置まで流され助かった高校生もありました。犠牲者総数は両村あわせて54人。負傷者も多数あり、民家や田畑の流失も甚大でした。

村は犠牲者の慰霊をするとともに、この大災害の教訓を後世に伝えようと、記念碑を建設したのです。1956(昭和31)年のことでした。下は水害直後の写真で、中央右上の森の所に記念碑があります。写真の右上にあるのは、被害を受けた旧大河原小学校校舎(春光寺前、現在は跡地)と運動場です。どちらにも 土石流の爪痕を見ることができます。

 

最近は地球温暖化の影響を受けて、異常降雨や台風の大型化が目立ち、自然災害の増加、規模の巨大化が気になるところです。災害は人ごとでなく、自分の身近な問題として考えてみましょう。

下の写真は水害直後の北大河原・本郷地区の惨状です。山の斜面の白く見える部分が土砂崩れの跡です。左下の大きな崩れのあるところが役場付近、中央右側の黒く見える木が記念碑のあるところです。災害を忘れず、どこに住んでいても細心の注意を払って備えたいものです。