[田山/石仏]柳生藩主の墓(Graves of Yagyu)
諏訪神社前の府道を、南へ(月ヶ瀬方面)600mほどいくと、右手に消防の防火水槽があります。そこを左(東)へ折れて坂を上ります。下の写真は、坂の上の方から下を振り返った様子です。
坂は200mほどの距離で、登り切ると、小さな広場のある辻へ出ます。そこで左(北)へ曲がります。下の写真は、曲がったところから振り返った様子です。
その道を200mほどいくと、つきあたりに民家があります。
民家のすぐ手前、左側の山裾に、柳生藩主の墓があります。下の写真の中央付近に説明板が見えています。
南山城村の郷士たちは、地方にいて、柳生へのお勤めが免除されていたので、田山地区の華将寺(現在は廃寺)に歴代の柳生藩主の墓を作ることで、命日などにお参りをしていました。
墓は11体あり、左から順に、
- 12代、飛騨守俊能(1830~1850)
- 10代、但馬守俊豊(1790~1820)
- 2代、但馬守宗矩(1571~1646)
- 不明
- 8代、備前守俊嶺(1719~1763)
- 6代、備前守俊方(1673~1730)
- 不明
- 宗冬の子、宗春(1649~1675)
- 不明
- 4代、飛騨守宗冬(1613~1675)
- 9代、但馬守俊則(1730~1816)
華将寺跡は、柳生藩主の墓のすぐ先にあります。